月の表情
月は宇宙空間における私たちの身近な隣人であり、
望遠鏡が発明されて以来、人類は月の表面を探り
続けている。
Photograph courtesy NASA
1950年代に造られた最初の月探査機は原始的なものだった。しかし、航空宇宙技術の急速な発達により、最初の月への接近通過からニール・アームストロングによる月面への歴史的な一歩までわずか10年の隔たりしかない。
1959年1月、アンテナの林立するソ連の小さな球体無人探査機「ルナ1号」が、月から約5995キロの地点を通り過ぎた。ルナ1号は、月面衝突という当初の目標を達成できなかったものの、搭載された科学装置一式を用いて月に磁場がないという事実を初めて明らかにした。さらには、いまでは太陽風として知られる電磁プラズマの定常流などの宇宙空間現象の証拠を発見した。
最初の月面着陸
ルナ2号は、同じ1959年に月面に到達した最初の宇宙探査機である。アリステイデス、アルキメデス、アウトリュコスといったクレーターの近くに衝突してその目的を果たした。続いてルナ3号は、ぼやけた画像ではあったが、史上初めて月の裏側の撮影に成功した。
1962年には、NASAの月探査機「レインジャー4号」が初めて月面に到達した。レインジャーのミッションはまるで“神風”的なものだった。月に向かって猛スピードで打ち上げられ、月面に衝突するまでの間にできるだけ多くの画像を撮影し、地球へ送信し続けるように設計されていたのである。残念ながらレインジャー4号は、科学的データを送り返すことのないまま月の裏側に激突した。
しかしその2年後には、レインジャー7号がカメラを燃え上がらせながら月に向かって突進し、月面に衝突するまでの17分間で4000点以上の画像を撮影した。レインジャーの全ミッション(特にレインジャー9号)から得られた画像によって、月の表面が平らではなく粗いことが示された。レインジャーのミッションは、月面着陸に適した平坦な場所を見つけるという目標に焦点を当てていたのである。
1966年、ソ連の月探査機「ルナ9号」は月の地形的なハードルを克服して、世界で初めて月面に安全に軟着陸することに成功した。探査機には科学装置と通信機器が積まれていて、月面のパノラマ写真を撮影した。ルナ10号も同年中に打ち上げられ、月の周回軌道に乗ることに成功した最初の探査機になった。
無人探査機「サーベイヤー」(1966-68)は、NASAの探査機としては初めて月面軟着陸を成し遂げた。サーベイヤーは月面の地形を探査するためのカメラと、月の岩やちりの性質を分析する土壌サンプラーを積んでいた。
1966年から1967年にかけてNASAは将来の有人着陸に備え月面の詳しい地図を作るために、無人周回衛星「ルナオービター」を打ち上げた。合計5機のルナオービターによって、月面の約99%が写真に収められた。
人類、月面に立つ
ここまでのロボット探査機は、宇宙探査が大きく飛躍するための“地ならし”だった。
1969年7月20日、ニール・アームストロングとエドウィン・“バズ”・オルドリンはアポロ11号の月着陸船から月面の「静かの海」に降り立ち、月に到達した最初の人間となった。
以後のミッションでは、月の表面を移動する月面車が持ち込まれたり、宇宙飛行士が月面で3日間も過ごしたりするなどアポロ計画は成功を収めたといえる。1972年の終了までに、計6回のミッションで12人の宇宙飛行士が月面へ降り立った。
1960年代と1970年代の劇的な成功の後、月探査は停滞期を迎えることになる。主な宇宙計画の目標は別に定められ、月は顧みられることなく二十数年が経過する。
しかし1994年になると、NASAは再び月に注目した。月探査衛星「クレメンタイン」のミッションは、紫外線から赤外線までの可視光線以外の波長を使い、月面の測量を引き継いだ。
その後は、探査機「ルナ・プロスペクター」(1999)が月の極地方に氷の存在を裏付ける証拠を求めて月の周回軌道に投入された。最新技術を備えたルナ・プロスペクターは月の重力場の探査と月面の再測量も行っている。このミッションの最後は壮観だった。水氷の証拠となる水柱が上がることを期待して探査機が月面に向かって突進したのである。しかしながら、証拠は何も観測されなかった。
現在はインド、中国、日本の3国でも月探査計画が進められているが、アメリカの計画がおそらく最も野心的なものだろう。2020年までに人類を再び月へ送り込み、最終的には火星やさらに遠い惑星に有人飛行するための足場として月を利用しようと目標を定めている。
1959年1月、アンテナの林立するソ連の小さな球体無人探査機「ルナ1号」が、月から約5995キロの地点を通り過ぎた。ルナ1号は、月面衝突という当初の目標を達成できなかったものの、搭載された科学装置一式を用いて月に磁場がないという事実を初めて明らかにした。さらには、いまでは太陽風として知られる電磁プラズマの定常流などの宇宙空間現象の証拠を発見した。
最初の月面着陸
ルナ2号は、同じ1959年に月面に到達した最初の宇宙探査機である。アリステイデス、アルキメデス、アウトリュコスといったクレーターの近くに衝突してその目的を果たした。続いてルナ3号は、ぼやけた画像ではあったが、史上初めて月の裏側の撮影に成功した。
1962年には、NASAの月探査機「レインジャー4号」が初めて月面に到達した。レインジャーのミッションはまるで“神風”的なものだった。月に向かって猛スピードで打ち上げられ、月面に衝突するまでの間にできるだけ多くの画像を撮影し、地球へ送信し続けるように設計されていたのである。残念ながらレインジャー4号は、科学的データを送り返すことのないまま月の裏側に激突した。
しかしその2年後には、レインジャー7号がカメラを燃え上がらせながら月に向かって突進し、月面に衝突するまでの17分間で4000点以上の画像を撮影した。レインジャーの全ミッション(特にレインジャー9号)から得られた画像によって、月の表面が平らではなく粗いことが示された。レインジャーのミッションは、月面着陸に適した平坦な場所を見つけるという目標に焦点を当てていたのである。
1966年、ソ連の月探査機「ルナ9号」は月の地形的なハードルを克服して、世界で初めて月面に安全に軟着陸することに成功した。探査機には科学装置と通信機器が積まれていて、月面のパノラマ写真を撮影した。ルナ10号も同年中に打ち上げられ、月の周回軌道に乗ることに成功した最初の探査機になった。
無人探査機「サーベイヤー」(1966-68)は、NASAの探査機としては初めて月面軟着陸を成し遂げた。サーベイヤーは月面の地形を探査するためのカメラと、月の岩やちりの性質を分析する土壌サンプラーを積んでいた。
1966年から1967年にかけてNASAは将来の有人着陸に備え月面の詳しい地図を作るために、無人周回衛星「ルナオービター」を打ち上げた。合計5機のルナオービターによって、月面の約99%が写真に収められた。
人類、月面に立つ
ここまでのロボット探査機は、宇宙探査が大きく飛躍するための“地ならし”だった。
1969年7月20日、ニール・アームストロングとエドウィン・“バズ”・オルドリンはアポロ11号の月着陸船から月面の「静かの海」に降り立ち、月に到達した最初の人間となった。
以後のミッションでは、月の表面を移動する月面車が持ち込まれたり、宇宙飛行士が月面で3日間も過ごしたりするなどアポロ計画は成功を収めたといえる。1972年の終了までに、計6回のミッションで12人の宇宙飛行士が月面へ降り立った。
1960年代と1970年代の劇的な成功の後、月探査は停滞期を迎えることになる。主な宇宙計画の目標は別に定められ、月は顧みられることなく二十数年が経過する。
しかし1994年になると、NASAは再び月に注目した。月探査衛星「クレメンタイン」のミッションは、紫外線から赤外線までの可視光線以外の波長を使い、月面の測量を引き継いだ。
その後は、探査機「ルナ・プロスペクター」(1999)が月の極地方に氷の存在を裏付ける証拠を求めて月の周回軌道に投入された。最新技術を備えたルナ・プロスペクターは月の重力場の探査と月面の再測量も行っている。このミッションの最後は壮観だった。水氷の証拠となる水柱が上がることを期待して探査機が月面に向かって突進したのである。しかしながら、証拠は何も観測されなかった。
現在はインド、中国、日本の3国でも月探査計画が進められているが、アメリカの計画がおそらく最も野心的なものだろう。2020年までに人類を再び月へ送り込み、最終的には火星やさらに遠い惑星に有人飛行するための足場として月を利用しようと目標を定めている。






















