イラクは、古代のメソポタミア(「川の間の土地」を意味する)一帯に位置する。現在でも、ティグリス川とユーフラテス川によって作り出された肥沃な平野が、広大な灌漑農地と中東有数の人口を支えている。さらにその土壌の下には、サウジアラビアに次ぐ豊富な石油資源がある。寒暖の差は激しく、冬季の気温は氷点下以下、夏季には摂氏50度にも達する。
イラクにはさまざまな民族が暮らすが、そのうち約2000万はアラブ人で、その宗教宗派は、イスラム教シーア派60%、イスラム教スンニ派35%、キリスト教3%である。シーア派の大半は南東部に、スンニー派は主にイラク中央部に住んでいる。非アラブ系のイスラム教徒のクルド人の人口はおよそ400万人で、北東の山間部に住んでいる。
イラクは1932年に王国として独立したが、1958年のクーデター以降は軍事政権が続いた。1979年に政権を握ったサッダーム・フセインは、1980年にイランに、1990年にはクウェートに侵攻したが、イラクはこの2つの戦争に敗れ、国力を消耗する結果となった。また、フセインはシーア派やクルド人などの反フセイン勢力を弾圧した。
1991年、アメリカを中心とする多国籍軍が、クウェートに侵攻していたイラク軍を撤退させた。1992〜2003年の間、多国籍軍はイラク上空に飛行禁止区域を設定し、クルド人とシーア派住民をイラク軍機の攻撃から保護した。イラク軍に抵抗していたクルド人は1990年代初めに自治政府を樹立した。1998年、国連の武器査察への協力を停止したイラクに対し、ふたたび核兵器や化学兵器の開発を進めているとの疑惑が浮上した。
2003年3月20日、アメリカ主導の多国籍軍が再度イラクに侵攻し、4月9日にバグダッドは陥落、同年12月14日にフセインは身柄を拘束された。フセイン失脚後、一時的にイラクを統治していた連合国暫定当局は2004年6月28日、イラク暫定政府に統治権限を委譲した。2005年10月15日、イラクの新憲法が国民投票により承認され、その2ヶ月後には国民議会選挙が行われ、275名の代表が選出された。2006年5月20日に議会はイラク政府閣僚のほとんどを承認し、イラク新憲法に基づく政府が誕生した。2006年12月30日、フセイン元大統領は人道に対する罪により処刑された。
経済主要産業: 石油, 薬品, 繊維, 建設資材
主要農業: 小麦, 大麦, 米, 野菜; 畜牛
主要輸出: 原油