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去年の11月にエジプトの考古学者チームが発表した4300年前のピラミッドから、女性のミイラの一部が発見された。当初の予想通り、古代エジ
高さ5メートルのピラミッド内部には、リンネルの布地に包まれた頭骨、骨盤、脚、そして胴体の一部が横たわっていた。このピラミッドは“付属(衛星)”墓で、暗殺されるまで22年間エジプトを支配したファラオであるテティ王の墓の側で3番目に見つかった。
シェシェティ女王のピラミッドは昨年の11月にエジプトのサッカラで発見された。サッカラは現在のカイロに近い広大な墓地であり、かつては古代エ
エジプ
古代エジ
オーストラリアにあるマコーリー大学のエジ
さらに、少なくとも2つの葬祭領地についても同じように母親にちなんだ名前が付けられていた。葬祭領地とは、高官の葬儀で供える食料が収穫されていた特別な土地のことである。
「都市の名が歴史上の重要人物にちなんで名付けられることはよくあるが、その習慣に似ている。アメリカ初代大統領の名前が首都名になったように、シェシェティ女王もテティ王にとってはたしかに重要人物だった」とカナワティ氏は説明する。
ほかの王墓と同じように、シェシェティ女王の埋葬室も数世紀後に盗賊によって奪われるまでは財宝で満たされていた。しかし今回のケースでは、そのような墓荒らしたちが埋葬室への道を作ってくれたおかげで現在の発掘があるともいえる。
ナショナル ジオグラフィック協会付き探検家でもあるハワス氏の説明によれば、盗賊たちは正面の入り口を通れなかったために、上部からトンネルを通って侵入していたという。幸運にも、シェシェティ女王のミイラは重さ6トンのふたで閉じられた石棺の中にあったため、遺体と金の装身具は無事だった。
「盗賊たちは石棺を開けなかった。人力では無理だったのだろう」とハワス氏は言う。調査チームでは重機を使ってふたを外している。
16平方メートルの埋葬室は壁に碑文がない。これは、壁に碑文を彫るという風習が女性の墓でいつごろ始まったのかを知る手掛かりになるという。
女性の墓に碑文を彫る風習は、テティ王暗殺後、一代おいて王位を継いだ息子ペピ1世の時代には行われていた。つまり、シェシェティは碑文のない墓に埋葬された最後のエジプ
しかし彼女の名前と地位は歴史の一部としていまも残されている。彼女に関する説明がサッカラで採取された石の破片から発見されており、当時の高官の墓内部には刻まれた彼女の名前を見ることができる。
Photograph courtesy Supreme Council of Antiquities









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