北京原人が生きていた時代は、これまでの想定に比べて20万年も前だった。1920年代に存在が公になった彼らは進化論に大きな弾みをつけたが、最新の研究によってその生息時期が数十万年単位で前倒しされることになった。
この研究は、北京原人を含むホモ・エレクトスの移動ルートが2手に分かれたことを裏付けるものでないかとみられている。アフリカを出た後に、中国北東部と東南アジアの2ルートに分岐したという説だ。
北京原人はホモ・エレクトスの亜種で、その化石はかつて中国北京近郊の周口店(しゅうこうてん)で発見された。周口店はホモ・エレクトスの発見場所として世界で最も重要視されている場所であるが、新たに特定された時代は、以前の想定時期よりも涼しく快適な環境であったとみられる。
今回発表された研究では、この地域に埋まっていた石英粒子の同位体分析が行われた。その結果、北京原人が生息していたのはおよそ75万年前のことで、以前の定説に比べると20万年も早かったことが判明した。この研究は中国にある南京師範大学の沈冠軍(Shen Guanjun)氏らによって実施された。
「アフリカから始まったホモ・エレクトスの集団移動ルートが、書き換えられる可能性もある」と同研究の添付資料とされている分析結果を発表したアメリカのアイオワ大学の人類学者ラッセル・ショホーン氏は語る。同研究と添付資料は12日発行の「Nature」誌に掲載されている。
同氏によると「新たな研究結果に基づけば、中国における北京原人の生息時期は、そのほかのホモ・エレクトスのグループとほぼ同じ時期であった可能性が高い」という。
ホモ・エレクトスは約200万年前にアフリカから集団移動を始めたが、同氏は次のような仮説を立てている。「彼らは長期にわたる旅の途中で、さまざまな方向へ分かれていったのではないか。アラビア半島から中国南部に到達したホモ・エレクトスは亜熱帯林に行き当たったが、サバンナや開けた森林地帯に慣れていた彼らにとってそこは魅力的な場所ではなかった可能性がある。そこで、あるグループは南東へ進路を変え、東南アジアに住み着いたと想定される」。これは従来の説と重なる。
さらに別のグループは北東へ進路を取り、ユーラシア大陸を横断して現在の中国にたどり着いた可能性が高い。移動距離は東南アジアを通るより短くなり、定住時期も早くなる。そのうち周口店付近に定住したグループの一部が、北京原人(ホモ・エレクトス・ペキネンシス)と呼ばれる亜種へと進化を遂げたのだ。北京原人は完全な直立歩行ができ、洗練された石器を操っていたと考えられている。その脳の容積は、現生人類の4分の3に匹敵するものだった。
ホモ・エレクトスたちが今回提示された時代に中国北東部までたどり着いたとすると、そこには彼らがもともと慣れていた土地に似た、食糧が豊富な環境があったと考えられる。
「周口店付近も彼らが到着するころには涼しく乾燥した気候に変化し、草原に近づいていた可能性がある。獲物も多く集まり狩りもしやすかったのではないか。北京原人が肉を食べていた証拠も現に数多く見つかっている」と前出のショホーン氏は話す。
一方、ニューヨーク大学の古人類学者スーザン・アントン氏は、この研究について次のように指摘する。「今回得られたデータだけで彼らの移動ルートがアジアで2つに分かれたことを示す証拠にはならない。分岐は2ルートにはとどまらず、6ルートや9ルートになっていた可能性もある。だが、そうした分岐を証明するには、経路の途中に見られる何かしらの証拠を示す必要がある。また、その分岐がアフリカのどの辺りから始まったのかを明らかにする必要もあるだろう」。
とはいえ、同氏は次のようにも述べている。「北京原人がほかのホモ・エレクトス亜種と同じ時代にいたとすると、この研究分野で長らく謎とされてきた問題も解決することになりそうだ。当初の想定時期を前提とした場合、ホモ・エレクトスは旅を終えてずいぶん長いことアジアにとどまっていたことになる。彼らの傾向からすれば、これほど長い間の定住は少々不可解であったが、時期がもっと早かったとなればその疑問は氷解する」。
Photograph copyright Russell L. Ciochon/University of Iowa via Nature









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