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最新の研究によると、紀元前1400年頃のアンデス地方では、水銀化合物である硫化水銀の需要が大きく、当時すでに水銀の採掘が一大産業に発展していたという。今回の発見により、アメリカ大陸ではじめて水銀が生産された時期が2000年以上さかのぼることになる。
古代のアンデスでは、朱色の顔料である硫化水銀が儀式に使用されていた。南アメリカの王族や貴族の古い墓からは、金や銀でできた儀式用の品々の装飾に使われていた硫化水銀がよく出土する。
研究を率いたコリン・クック氏によると、産業革命より前の水銀汚染の証拠が示されたのは今回が初めてだという。同氏はカナダのアルバータ大学で地質学を研究している。
水銀は有害な重金属で、鉱石からアマルガムという精製方法で金や銀を抽出する際に用いられる。原料は辰砂(しんしゃ)という硫化水銀鉱物で、これを砕くと朱色の顔料になる。
ペルーは16~19世紀、スペインに支配されていた。そのスペインからやって来た入植者たちが残した記録によると、アンデスの鉱物から銀を抽出するため、16世紀の後半には液体の水銀が広く使用されていたという。銀は植民地の経済を支えていた。
前出のクック氏らの当初の目的は、植民地時代に水銀の採掘が行われていた事実の裏付けを得ることだった。その手段として、ペルーのリマから225キロ南東に位置する人口4万人の都市ウアンカベリカで、古い鉱山付近の湖底の堆積物からコア試料を採取し、その汚染状況を分析した。ウアンカベリカはスペインのアルマデンに次ぐ水銀の鉱床だ。
ところが、「放射性炭素でコア試料の年代を測定したところ、数世紀どころか、数千年前のものだとわかった。かなり衝撃的だった。紀元前1400年に採掘が行われていたなんて、これまで一度も示されたことがなかったから」とクック氏は振り返る。
今回の研究は、ナショナル ジオグラフィック協会の研究・探検委員会が資金助成を行っており、研究結果は19日に「Proceedings of the National Academy of Sciences」誌で発表される。
水銀汚染の悪化は隣接する2つの湖の堆積物内で確認され、これにより水銀の採掘が古代に行われていたことが示唆された。高度なアンデス文明の母体といわれるチャビン文化がペルー中部で紀元前800~400年に全盛期を迎えるかなり前の段階で、採掘は既に始まっていた。「大規模な鉱業や冶金(やきん:鉱石から金属を抽出すること)は、大規模な社会が形成されてから始まると考えられてきた。社会が大きくなると階層が形成され、人々がさまざまな技術を専門にできるためだ」とクック氏は説明する。
しかし、今回の研究結果はそのような説とは正反対のことを示唆している。つまり、鉱業や冶金の技術をもって高度な社会が形成されるということだ。辰砂や金といった魅惑的な品々を優先的に入手できたことが初期のリーダーの台頭につながったと、クック氏は持論を展開する。
エール大学の考古学者リチャード・バージャー氏は、辰砂の売買がチャビン文化の台頭に貢献したとする仮説を提唱しているが、今回の研究によってその仮説も裏付けられるという。チャビン文化ではラマを家畜にしていたため、アンデスのあちこちに朱色の顔料を輸送できたはずだとバージャー氏は説明する。「思いもかけない所から証拠が示された。この研究だけで仮説の裏付けになっている」。
バージャー氏によると、チャビン文化とその後のインカ文明には、儀式のときに自らを朱色に塗る習慣があったという。埋葬用の仮面をはじめとする金の品々も朱色の顔料で装飾されていた。
しかしクック氏は、スペインの統治時代も含めた3千年以上にわたるウアンカベリカでの水銀採掘の歴史が、ペルー中央部の高地に重大な汚染を残した可能性もあると考えている。「魚類資源や同地域に住む生物の血中に含まれる水銀濃度を直接測定したわけではない。でも私は、この地域は世界でも有数の汚染地域だと思っている」と同氏は語った。
植民地時代のペルーにおける水銀使用に関する著作もあるミシガン大学の環境化学者ジェローム・ヌリアグ氏は、「既にわかっているこの数世紀の水銀汚染も考えに入れておく必要がある」と話す。同氏によれば、植民地時代に銀の抽出のために使用された水銀の排出量は年平均でおよそ600トンだったという。これは「現在の中国が排出している水銀の量にほぼ等しい」と、クック氏は新しい研究で述べている。
古代のペルーが依存していたこの毒物が地球環境に与えた影響はどの程度のものなのか、さらなる研究が必要になるだろう。
Photograph by Alberto Reyes

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