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拷問の様子を描いた壁画で有名な古代メキシコの神殿で、翡翠(ひすい)の装身具を身に付けた頭部のない男性の墓が発見された。この男性はマヤ文明の都市遺跡ボナンパクに築かれた“壁画の神殿”の下部に安置されていた。壁画のような拷問を受けて生贄にされた捕虜の1人、または支配階級の近縁者ではないかと考えられている。
人類学者のエミリアーノ・ギャラガ・ムリエタ氏は、「いずれにせよ、埋葬場所から判断して特別な存在だったことは間違いない」とコメントする。
壁画が描かれた紀元790年頃、ボナンパクは数千人が住む都市だった。現在のメキシコ南部チアパス州に広がる熱帯雨林の奥地では、アクロポリス(丘などの高台に建てられた砦や神殿)の発掘が進められている。
アクロポリスの階段を上ると、中程に内部が三室に分かれた“壁画の神殿”がある。「第一の部屋」の壁には、若い王位継承者の発表の場面が描かれている。今回発見された墓の上にある「第二の部屋」の壁には、拷問を受ける捕虜の様子が四面に描かれ、折れた指やはがれた爪、生首まで細かく描写されている。「第三の部屋」の壁には、支配階級による血の儀式が描かれている。
天文学に通じた聖職者が平和裏に統治していたとされるマヤ帝国は、1946年にボナンパクの壁画が発見されその実像が明らかになった。今回発見された墓も、マヤの暴力性を再確認する証拠となるかもしれない。
同地周辺では2005年から2007年までの2年間に何度も地震が発生し、考古学者らが遺跡の修復・保全プロジェクトを開始した。その過程でレーダー調査を実施したところ、拷問の壁画がある部屋の下に空洞が検出されたのである。
メキシコ国立人類・歴史学研究所(NIAH)のチアパス分所長であるギャラガ氏は、次のように解説する。「死者を神殿やピラミッドの下に埋葬する風習はマヤ文明では珍しくない。むしろ問題は、誰がどのような経緯で埋葬されたのか、そして埋葬品の種類だ」。今回の発見は、NIAHが2010年1月8日に発表した。
同氏によると、墓自体は単純な構造をしているという。死者1人が収まる適度な大きさで、平らな白い石板で閉じられているという。骨格の予備分析では、埋葬者は関節炎らしき痕跡のある35~42歳の男性と判明していたが、下あご以外の頭骨がなかった。
「古代マヤの戦時には斬首の風習があり、この男性も被害者の1人かもしれないが、私の見解は異なる。頭骨は他の部位に比べて脆いため、湿気のこもる室内で自然腐食・分解された可能性が高い」とギャラガ氏は主張する。
床に落ちていた翡翠のイヤリングは、耳から外れたと思われる位置にあった。この点も頭部の分解説を指示しており、埋葬品の残存や墓の密閉状態から判断して、盗掘の可能性もないと同氏は考えている。
「現在、遺骨の一部を使って放射性炭素による年代測定が行われている。ボナンパクの社会との関係性もDNA検査ではっきりするはずだ」とギャラガ氏は話す。
現時点でも、埋葬品の内容から上流階級の出身と想像できるが確認はされていない。
同氏はこう解説する。「身の回りの品から判断する限り、敵対勢力に属する高位の戦士だろう。神殿の建立記念に生贄にされた可能性が高いが、
後ろ手に縛られていない点が気になる。現在のメキシコ・シティーにあった古代マヤ都市テオティワカンのケツァルコアトル神殿では、捕縛状態の骨格が発見され、生贄にされた捕虜だと考えられている」。
逆に、壁画が描かれた当時にボナンパクを支配していたチャアン・ムアン2世(Chaan Muan II)の親族という可能性もある。例えば埋葬されていた翡翠やスポンディルス貝(ウミギクガイ)製の宝飾品は、第一の部屋に描かれている貴族の所有物と同じだ。
ギャラガ氏は次のように話す。「ただ、仮にボナンパク側の人間だったとしても、生贄の可能性は残っている。戦死や自然死も含めて、死因の解明にはさらなる分析が必要だ。いずれにせよ新発見の墓は、壁画のイメージを裏付けることになりそうだ」。
Photograph courtesy Alejandro Tovalin, INAH









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