March 1, 2010
ソロモン王が建設したとみられる3000年前の城壁がイスラエルの都市エルサレムで発見された。発掘を指揮したイスラエルの考古学者は、ソロモン王に関する聖書の記述を証明する史上初の考古学的証拠と考えている。
城壁は全長約70メートル、高さ約6メートルで、紀元前10世紀の建造物とみられる。当時のエルサレム外周に沿って延びており、いまでもエルサレム最高の象徴とされる“神殿の丘”と、現在はパレスチナ人居住区「シルワン」となっている古代“ダビデの町”の間に位置している。
エルサレム・ヘブライ大学による発掘調査を指揮したエイラート・マザル氏によると、石造りの城壁は複合的な防御施設の一部であるという。守衛詰所などの建物も存在するほか、まだ一部の発掘に留まっているが見張り塔も確認されている。
「建物群は長い年月の間に一部が取り壊され、別の用途に転用されている。残存・・・
城壁は全長約70メートル、高さ約6メートルで、紀元前10世紀の建造物とみられる。当時のエルサレム外周に沿って延びており、いまでもエルサレム最高の象徴とされる“神殿の丘”と、現在はパレスチナ人居住区「シルワン」となっている古代“ダビデの町”の間に位置している。
エルサレム・ヘブライ大学による発掘調査を指揮したエイラート・マザル氏によると、石造りの城壁は複合的な防御施設の一部であるという。守衛詰所などの建物も存在するほか、まだ一部の発掘に留まっているが見張り塔も確認されている。
「建物群は長い年月の間に一部が取り壊され、別の用途に転用されている。残存部分はがれきの下に埋もれていた」と同氏は言う。
城壁の推定建設時期から数世紀後に成立したとされる列王記(旧約聖書)の上巻には、古代イスラエルのソロモン王はエルサレムに城壁を建設したとの記述がある。「今回の発見はその建造物の史上初となる考古学的証拠だ」。
遺跡周辺から出土品も見つかっており、製造時期はやはり紀元前10世紀ごろと推定されている。「当時これほどのスケールを実現するには強力な中央政権が必要だ。歴代の王の中でもダビデ王かソロモン王ぐらいしか思い付かない」とマザル氏は話す。
聖書によると、「ダビデとゴリアテの戦い」で知られるダビデ王は、神殿の丘に第1神殿を建てたといわれるソロモン王の父親にあたる。
さらなる年代の絞り込みには、城壁周辺からの出土品が役立ったという。その精巧さから、紀元前10世紀後半、つまりソロモン王の時代の陶磁器と確認された。
守衛詰所付近では、高さ1メートルの陶器のつぼがいくつか発見されている。その1つには政府高官の所有物とヘブライ語で記されていた。
「紀元前10世紀のエルサレムを代表する小彫像も発掘されている。4本足の動物や、豊穣の象徴とされる胸の豊かな女性像などだ。また、つぼの取っ手には“王のために”という刻印やさまざまなヘブライ語の名前が刻まれていた」とマザル氏は説明する。
「出土品の数々から、聖書時代の町の様子をうかがい知ることができる。城壁の門周辺には、商売をしたり、市民同士のもめ事の仲裁や儀式を行う人々が集まっていたのではないだろうか。城外へ遠出する際には、ここで水などの必需品を買い込んでいたのだろう」。
イスラエルにあるテルアビブ大学の考古学者イスラエル・フィンケルシュタイン氏は今回の発掘に関わっていないが、マザル氏の見解に同調し、ソロモン王が城壁を建設した可能性もあると考えている。
しかし同氏は、調査過程で聖書の記述にあまり頼りすぎないようアドバイスする。「遺跡調査の際、関連する宗教書や歴史書を参考にするのは重要なことだが、逆効果になる場合もある。書物にはそれぞれの特徴があり、それに応じてアプローチを変えなければ意味がない。まずは成立年代が問題だ。建設と同時期に書かれたのか、それとも300年後なのか。目的やイデオロギー、編纂理由も重要だ」と同氏は指摘する。
マザル氏自身もこの点については同意している。「関連する古書を読みもしないで遺跡発掘を進める考古学者なんていない」と同氏はコメントした。