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海洋考古学者ロバート・バラード博士 ~海底に魅せられて~


 1912年に北大西洋で沈没した大型客船タイタニック、1941年にイギリス艦隊と死闘の末沈んだ独戦艦ビスマルク、1942年ミッドウェー海戦で失われた空母ヨークタウン。沈没という事象も含め、それぞれ時代を象徴する艦船と言えるだろうが、この3艦の共通点がおわかりだろうか? これらすべては、一人の海洋学者が主導した調査によって海底で“発見”された。今回の主役、ナショナルジオグラフィック協会付き探険家ロバート・バラードである。

タイタニックの発見


ロバート・バラードと最新探査艇「ヘラクレス」
(Photograph courtesy Robert Ballard)

 当時世界最大の豪華客船タイタニックは1912年4月14日、イギリス・サウサンプトンからニューヨークへ向かう処女航海の途中、北大西洋上で氷山と接触し沈没、1,513名の乗員乗客が命を失った。「世界最悪の海難事故」と言われ、当時の欧米社会に与えた衝撃が大きかっただけでなく、その後も20世紀最大の悲劇のひとつとして人々の記憶に残り、1997年の大ヒット映画『タイタニック』の前にもタイタニック沈没を題材にした小説や映画は事故の直後から数多く発表されてきた。

 海底のタイタニックに興味を持っていたバラードは1982年、ウッズホール海洋研究所で自ら開発に携わった無人潜水探査艇アルゴを使ってタイタニックを探す計画への資金協力を米海軍に申し入れた。海軍は民間の豪華客船には興味はなかったが、1960年代に沈没した2隻の原子力潜水艦、スレッシャーとスコーピオンの原子炉の状態と周辺環境への影響について懸念を持っていた。スリーマイル島の原発事故から3年、まだその影響について調査・議論が続いていた時期である。

「私は海軍がこの2隻に興味を持っていることを知っていた。そこで交渉した。タイタニックの探査をさせてくれるなら、海軍の探している潜水艦の調査を行うとね」。原潜の調査に探査艇アルゴが有効と判断した海軍は、2隻の原潜の調査が十全に完了した場合に限りタイタニック探査の費用を用意することで同意し、バラードにその極秘任務を与えた。


タイタニック船首の手すり
(Photograph by Emory Kristof)

 マサチューセッツ州コッド岬沖でスレッシャー、アゾレス諸島沖でスコーピオンの調査を終え、北大西洋に向かったバラードに残された時間はわずか12日間。しかし、原潜調査の任務中に、タイタニックを発見するためのヒントを得ていた。

「2隻とも、沈没時に水圧のため内破し、艦体の破片が海流に沿って流され、尾を引いたように海底に散らばっていた。タイタニックでも同じことが起きたと確信していたので、破片が海底に尾を引いているだろうと考えた」。

 潜水艇アルゴがここでも活躍する。石などが散らばった海底でタイタニックの破片を探すには、音波探査機ではなく、視覚で確認できるカメラを搭載した探査機のほうが効率が良かったからだ。

 歴史的な瞬間が訪れたのは1985年9月1日。破片の“尾”を追跡した末、アルゴのカメラが3,650メートルの海底にタイタニックの姿をとらえた。しかし極秘任務中での発見だったためメディアの知るところとはならず、後に海軍が公表して初めてタイタニックの発見は世に知られることとなった。

 バラードはその後もさまざまな沈没船の探査を行っている。冒頭で名を挙げた艦船のほかにも、第一次大戦時に沈没した大型客船ルシタニア、後の大統領ジョン・F・ケネディの乗艦だった魚雷艇PT-109など、海底のさまざまな遺物を発見・記録している。

夢見るころ

 タイタニック発見がバラードの名を世に知らしめたこともあり、沈没船発見の専門家のように思われるかもしれないが、数々の発見は海洋学者としてのバラードの経歴から生まれた言わば「余禄」である。

 生まれはアメリカ本土のど真ん中、カンザス州ウィチタだが、やがてカリフォルニア州南端サンディエゴの海沿い、その名もパシフィックビーチに移り住み、そこで成長する。「小さい頃は、(ジュール・ヴェルヌの小説『海底二万マイル』の)ネモ船長とその潜水艦ノーチラス号に憧れて、いつか彼のように海の世界を探検したいと思っていた。僕にとってのヒーローだった」。

 実際に海底探検家への道を歩み始めるきっかけは高校時代、16歳の時にあった。「スクリップス海洋研究所宛てに、将来海洋学者になるにはどうすれば良いかという手紙を書いてみた。そうしたら、夏休み中に高校生向けの奨学プログラムがあることを教えてくれた。さっそく応募して、その夏を研究所で過ごせるプログラムへの参加資格が得られた。その後、探査船での調査クルーズに参加できるメンバーにも選出され、実際に海へ出ることができた。2回目のクルーズの時、巨大波に襲われて船が危うく沈没するという経験もしたが、それで私は海洋探査の虜になってしまった」。

 スクリップス海洋研究所は、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)に付属する研究機関で、バラードの住まいからも数キロのラホヤという海沿いの街にある。1903年に設立、4隻の研究船と1,500名以上の研究スタッフを擁し、60カ国以上の国で数百に及ぶプロジェクトを進める世界最大級の海洋研究所だ。

 バラードは奨学プログラムで出会った海洋地質学者ロバート・ノリスにカリフォルニア大学サンタバーバラ校への進学を勧められ、そこで地質学と化学の学士号を取得する。

海軍士官バラード

 ベトナム戦争中の1967年、バラードは陸軍から召集を受け任官するが、専攻する海洋学が生かせる海軍への転属を願い出て受理された。海軍はウッズホール海洋研究所と海軍研究局の間の連絡役をバラードに命じた。

 大西洋岸のマサチューセッツにあるウッズホール海洋研究所は、太平洋岸のスクリップスと並ぶ海洋研究の代表的な機関で、2,000メートルを超える深海の探査が可能な潜水艇アルビンを持っていた。

 深海潜水艇への初乗船は軍務中の1969年に訪れる。ただし乗り込んだのはアルビンではなく、スイス人の海洋学者ジャック・ピカールが設計した潜水艇ベン・フランクリンだった。

 ジャック・ピカールは、1960年に父オーギュストが設計したバチスカーフ(潜水艇の一種)トリエステでマリアナ海溝のチャレンジャー海淵に潜航し、10,916メートルの深度を計測したことで知られる(後年の再調査で正確な深度は10,911メートルと判明)。

 子ども時代の憧れがネモ船長のノーチラス号ならば、チャレンジャー海淵探査当時17歳になっていたバラードの現実世界での憧れはピカールのトリエステだった。

 1970年に除隊した後もバラードはウッズホール海洋研究所に残る。

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