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アルバート・ユーミン・リン ~チンギス・ハーンの墓を求めて~スターケーブ![]() カリフォルニア大学サンディエゴ校のStarCAVEで北モンゴルのデジタルデータを分析するアルバート・リン。 (Photo courtesy of Erik Jepsen) 探検家はチンギス・ハーンの墓を目指して「スターケーブ(StarCAVE)」のドアを開ける。一歩踏み込むと、そこはどこを向いても荒野の世界。彼は足元に並ぶ岩に気付いて身をかがめる。どうやらきっちりと長方形に並べられているようだ。灰色の堆積物の斜面に緑色のコケ類が不規則に生え伸びた中で、岩が形づくる秩序は異彩を放つ。メモを記した後、はるかかなたの山の峰に顔を向ける。次の目標を見定めた探検家は、時速数百キロに加速して山頂の古代神殿へ飛ぶ。 もちろん、これは現実ではない。5面の壁に囲まれたスターケーブが作り出すイリュージョンだ。スターケーブは、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)内、最新の耐震設計が施された研究室に鎮座している。中に入ると、巨大な3D投影システムが、コンピューター合成の分子構造や、建築CAD図面、今回のようなモンゴル北部の高解像度衛星画像を映し出す。その世界に完全に入り込むことができる「没入型」のバーチャル技術である。探検家がしゃがんで調べるのは岩ではなくピクセル単位のデータであり、移動する場合も実は立ったままだ。スターケーブ内では、何も現実には存在しない。 ただし、探検家だけは“本物”だ。アルバート・ユーミン・リン(Albert Yu-Min Lin)、30歳。精悍に日焼けした相貌は、研究室よりも大草原を馬で疾駆するのが似合い、かつてユーラシア大陸を駆けめぐったモンゴル騎兵の血がなお残っているかと思わせる。 「いつの時代も先駆者は、最新のテクノパワーを以て先端を切り開いてきた。私たちの研究チームも、最新のアプローチで古くからの難題に挑戦している。誰も到達できなかった場所を目指す。目標は私も同じだ」とリンは言う。「環境・文化・政治的な障害のため、探検の難しい地域が存在する。しかし、今日の技術があれば、古い障害を乗り越えるチャンスが生まれる」。 チンギス・ハーンの墓2009年にリンらの調査隊が探査したモンゴルの“立ち入り禁止地帯”は、まさにそうした対象だった。一般の地図には記されていない。軍の機密施設のように。実際、ソ連支配の時代には“軍事施設”に指定されていた。モンゴル北部ヘンティー県の奥深く、「イフホリグ(Ikh Khorig)」の地。「大いなる禁忌」という意味で、通常は立ち入りが禁止されている。 1227年にチンギス・ハーンが没してから1991年まで、約230平方キロの立ち入り禁止地帯は世界のどの場所よりも接近し難い場所だった。死の直後、残されたモンゴルの将軍たちは、50家族からなる百戦錬磨の集団「森のウリヤンカイ」に対し、「この地に住み、あらゆる侵入者を殺せ」と命じた。例外は、この場所への埋葬が許されていたチンギス・ハーンの直系子孫の葬列だけだった。こうした過度な秘密主義から、多くの人は「遺体はこの一帯のどこかにある」と推測してきた。 チンギス・ハーンが築いた帝国の広大さは、ナポレオンとアレクサンドロスの帝国を合わせても遠く及ばない。そうとうな財宝が遺体と一緒に埋葬されていると考えられる。1924年にソ連がモンゴルを支配下に収めると、チンギス・ハーン崇拝はナショナリズムを喚起するとして危険視された。祖国の英雄にまつわるさまざまな要素が排除され、「森のウリヤンカイ」もソ連軍によって一掃されてしまう。ただし、イフホリグの監視体制は、極秘の軍事施設として維持される。70年近く後の1991年、ソ連崩壊に伴ってようやく規制緩和が始まった。しかし、封鎖から800年近くがたった今日でも、ここに入れるのはごく限られた考古学者、生物学者、環境学者だけである。 調査に対する規制は為政者によるものだけではない。モンゴル人にとって、チンギス・ハーンの墓は極めて神聖な場所である。地面を掘って墓所をあばくことは、歴史の解明より前に、冒涜であると考える人は多い。墓を荒らせば、終末をつかさどる霊が解き放たれ、世界に終わりがもたらされると信じる住民もいる。 モンゴルへ“立ち入り禁止地帯”に至るまでの10年間に、リンはパキスタンやカンボジア、中国、チベット、モンゴルなど、さまざまな辺境を夏季に1人で訪れた。人類共通の文化遺産を探し出して保護するという彼の情熱は、その経験により培われたと言える。 「モンゴルでは馬を買って地方まで走り、遊牧民と一緒に生活しようと思っていた。荷物は着替え1着とGPSだけ。みんなにはクレイジーだと言われた。でも、クレイジーと言われれば言われるほど、皆が間違っていることを証明したくなった」。 「モンゴルには、1000年前からあまり変わっていないような生活と世界が広がっていた。その中心には独特の存在感を放つチンギス・ハーンがいたが、その真の姿は歴史の中に埋もれていたんだ」。 このモンゴル行は2007年、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)大学院で材料科学および工学プログラムにより博士号を取得する前年だった。「自分たちの家族は北部の出身だといった祖父の言葉の意味を知りたくて、荷物を詰めて北京行きのチケットを購入した」という。 大学院を終える際、元香港映画スターの母と天体物理学者の父は、「ラーメンよりもステーキが食べられるような職をすぐ探すように」と強く望んだという。しかし、リンは大学院後の経歴をハイリスク・ハイリターンのプロジェクトから始めることに決めた。生活が安定する見込みはほとんどなく、成功する可能性はゼロに等しい賭けだった。 |
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